「一夜飾り」は嫌われる。
明日は大みそかでこの日は飾ってはならない。
Fujimartへいって鏡餅を買う。
10ドルであるが、時期が時期だけに2割引きである。
これを組み立てるとこうなる。
我が家の仏壇は市販のスリムな家具を転用したものである。
よってあの黒塗りの仏壇のイメージはない。
これにセットとするとこうなった。
明後日はお正月である。
向かえの用意は整った。
今年のお正月はニュージーランドで過ごした。
南島に行き、暮れからお正月はダニーデンにいた。
元旦はたしか、トンネルビーチに行き、午後はタイエリ鉄道に乗ったはずである。
ここへ戻ってきたのは七草過ぎであったと思う。
4月ころから本格的なハーフマラソン練習に入ったが、このときトータルで5回だったか転んでいる。
このときの怪我の治りが今も左肩、左ひじ、左膝に残っていて、その傷口にかぶったkasaカサブタはいまだに剥がれてむくことができる。
これまで転ぶなどということは3---4年に1回あるかないかであったのに、この短期間で数回というのは異常である。
何で転ぶのか理由が分からなかった。
シューズのせいかと思い2回替えた。
安全を期して膝と肘にはプロテクターをつけ、手には手のひらサポーターをすることにした。
今もその形で走っている。
原因は「老い」であった。
足が思っているようには上がらないようになってきているということである。
ために予定地点より手前で足が下りて、そこでシューズが地面をこすって引っかかり、つんのめって転ぶということである。
最後のシューズはマラソン用ではなく、ジュニヤ用のゴム質の硬いものにした。
当然、中に入っている中敷きもマラソン用のものとくらべてはるかに固く、クッション性がない。
それゆえ、地面からの反力が柔らげられることなく厳しく伝わってくるので、足の状況が分かりやすい。
これによって転ぶことはなくったが、足に優しいというわけにはいかず、足本体への負荷は当然大きくなっている。
それでも4回ほど走って、これなら大丈夫「行かれる」という自信をもって本番に臨んだのだが。
結果は惨めであった。
確かに15kmまでは順調にいった。
足にもスタミナにも十分な余裕があった。
これならキロ6分でゴールできると思った。
が、15kmを過ぎて突然それはやってきた。
足が地面を踏むたびにフクラハギにビリビリと痛みが走るようになってきたのである。
左右両足である。
この硬いシューズのツケが本番で一気に噴き出した、という感じである。
ときどき休みながら、亀の歩みのようにノロノロと走って何とか走って帰ってきたが、タイムはさんざんであった。
ジュニヤ用だからせいぜいランニングなら5km対応で、10kmくらいがマックスのようである。
ゴムは硬いし、中敷きも固いが、でも足の状態がわかりやすいという長所がある。
普通のランニングシューズだと、クッションがよすぎて、地面からの反応が足に伝わらず、足の状態があいまいになり転びやすくなる。
年をとると、一般のマラソンシューズは危険になってくるように思える。
そこで本番が終わってからは、ジュニヤシューズには柔らかいマラソン用中敷きを、マラソンシューズにはキッドシューズの固い中敷きを入れて、長所と短所を半々にして使うことにした。
いまはそれで走っている。
転ばないように注意深く走っている。
このあたりのことはこのブログに書いている。
今年の後半は「立川こしら落語夜会」とか、ひょんなことから「ハダシ散歩」を始めることになったいきさつなどがあるが、それらもこのブログに書き込んである。
さて、来年はどんなことがおこるだろうか。
政治的にもいろいろありそうだ。
今年は北朝鮮のミサイルで「Jアラート」が鳴ったり、中国の戦闘機と爆撃機がセットで日本領空近辺をうろつき始めたりで、緊張感が高まっているようである。
戦後、2/3世紀の間、経済発展という金儲けにかまけて眠り呆けていたが、20の中国の反日デモあたりから、アイクチの切っ先が腹にチクチクと突き刺ささってタラリと血が流れてきて感じがしてきている。
中国の航空識別圏を認めるという「オバマの裏切り」にあっ、以降、日本はどうも「アメリカ信用ならず」を肝に命じて動いているように見える。
アメリカはあてにならず、頑張ってしゃかりきに、防衛力を高めてきたこの5年なのだが。
突如、自助防衛という大責を背負わされしまって右往左往の日本であったように思える。
さて、これからどうなっていくのか。
基礎的な自力を培ってきた5年が今年で終わり、6年目に入る来年あたりから新しいステージに移行していくことになれば、政治的な面白さが一段と増していくような気がする。
海外から見る世界はより客観的で劇場っぽく見えてくる。次に何が演じられるのか興味はつきない。
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