● SUSHI TRAIN 25周年記念 全品2.5ドルセール
いま、ゴールドコーストにはたくさんの回転寿司がある。
その草分けは「スシトレイン」である。
チェーン店で市内にも相当数の支店がある。
我が家からも近いので1週間に1回、あるいは10日に1回ぐらいの割合で出かけていっている。
寿司が食べたいのではなく夕食の支度が面倒だというカミさんの要望によるのである。
つまり、週に1回ぐらい夕食の支度をしない日があってもいいじゃないか、ということである。
今日も行ったのだが、店の入り口にスタンドポスターがあった。
それが上のものである。
開店25周年記念のお知らせ、ということである。
9月9日は全品2.5ドル提供日だそうである。
カウンターにあったビラをもらってきた。

我が家がここに移住してきたときには「スシトレイン」はなかった。
1993年のことである。
つまり我が家がここに住んで今年は25年目になる。
なぜスシトレインが25年目になるのか不思議に思って検索してみた。
Wikipediaにはスシトレインが載っているのである。
『
種類 | 子会社およびフランチャイズによるチェーン |
---|---|
本社所在地 | ![]() クイーンズランド州ゴールドコースト |
設立 | 1992年2月 - 創業 1994年1月 - スシトレイン 1号店開業 |
業種 | 外食産業 |
事業内容 | 回転寿司を中心とする日本食ファーストフード店 |
代表者 | ボブ山形 - CEO、創業者 |
支店舗数 | 60+ |
外部リンク | http://www.sushitrain.com.au/ |
ということである。
やはり、1号店は1994年1月にオープンしている。
1993年ではない。
とすると、今年は「24年目」になる。
「25周年目ではないだろう」
というツッコミを入れたくなる。
管理会社の人の、
「サーファーズに回転ずしがオープンしましたよ」
という言葉を聞いたのは、よって1年後のことになる。
サーファーズにいったとき試しに覗いてみた。
覗いてみただけで入りはしなかった。
そのころはカウンターの上に線路があっておもちゃの汽車が回って、寿司を運んでいた。
そこから「スシトレイン」という名がついたようである。

というのは、こちらでは生魚は食べないし、さらに深刻な問題は海苔が受け入れられていなかったのである。
ここの学校には給食はない。
よって、弁当を持たせることになる。
そうでなければキャンテーンという購買部で昼食を買うことになる。
だが売っているものがひどい。
ケーキレベルのものまである。
脂肪分と糖分の塊みたいなものばかりが売られている。
まあ健康に悪いことおびただしい。
これではデブとビヤダルが増えるわけである。
学校とは肥満製造機か? と思ったほどである。
その後、子どもの肥満については、メデイアが激しい声をあげ始めたので、キャンテーンの内容は相当に改善はされることになったが。
「もっと早く気づけよ!」である。
我が家はお弁当でご飯になる。
となると、ノリが使われる。
これがひどく嫌われた。
この弁当の中身をみたクラスの人が言うという。
「ヤーク!」
内容的には汚らしい、である。
海苔は「ブラックペーパー」としいみ嫌われる存在だったのである。
よって、弁当には海苔は使わないでほしいというのが子供の切なる要望であった。
今では軍艦巻きというものがあって海苔で巻いたご飯の上になんでもかんでも載せて「スシもどき」にしている姿はこのころは想像できないものである。
Wikipediaでは
『
回転寿司屋では多種多様なものを創作して軍艦巻きにする。
例えば、ねぎマグロ、マグロユッケ、カツオユッケ、イカオクラ、トロたくあん(とろたく)、エビのマヨネーズ和え(えびマヨ)、タラ白子、カニ、かにみそとキュウリ、小柱、甘海老、サラダ、ツナサラダ、シーフードサラダ、エビサラダ、納豆、コーン、ハンバーグ、味付け卵などがある。
海外の寿司店、日本料理店ではキャビアを使うところもある。
』
とある。
スシトレインでもまあこんなものがというくらいに、いろいろなものがのっている。
世界三大料理といえば、フレンチ、イタリアン、それに中華であった。
日本人の花嫁をもらい、中華のシェフを雇うことがお金持ちの願望であるといった話がささやかれていた頃である。
Wikipediaでは世界三大料理は中華、フレンチ、トルコ料理と出てくる。
トルコ料理なんてものは知らないので、巷ではそれに代わってイタリアンが入っているのであろう。
ちなみにごく最近のアメリカ人にとっての三大料理とはフレンチ、メキシカン、和食である、という記事を読んだことがある。
メキシカンは国境の隣がメキシコなのでその影響であろう。
ここで、和食が中華を抜いて三大料理に食い込んできている。
このところのイメージでは和食は高級料理、中華は大衆料理という評価が定着しつつあるようである。
私どもがいくスシトレインはショッピングセンターや繁華街の店ではなく、街道沿いのいわばローカルな店である。
よって客筋はほとんど地元人。
これまで純な日本人のお客に会ったことがない。
ときどき日本語を聞くことが’あるが、それは旦那さんか奥さんか片方が日本人の家族連れである。
最近入った店員さんがいる。
我々は「福ちゃん」とあだ名している。
芦田愛菜が小さかった頃、その相手役にいた「福ちゃん」がそのまま成長したようなコロコロした若者である。
地元出身でおそらくハーフであろう、英語も日本語も堪能である。
われわれに彼いわく
「生魚の寿司を食べる人に初めて会いました!」
ここは寿司屋だろうと思うが、生魚を嫌う風習は今も確実に生きているのである。
そこで寿司で生魚を食べる時はアブリにする。
表面をトーチでザーと炙るのである。
それで魚の臭みが消えるようである。
というよりむしろ、潜在的に巣くっている生魚に対する嫌悪感を熱を通すことによって洗い清めるという厄払いの儀式に思える。
そうすることによって厄災による精神の高まりを鎮め、生魚を食するという禁忌の門をくぐれる作用をしていると思われる。
ここではトロよりサーモンが口がとろけるほどにうまい。
炙ったサーモンはどうかというと、ずばりいただけない。
なんでこんなにうまいサーモンに火を加えるか? となる。
ところで「ヤーク」と呼ばれた海苔がなぜ浸透してきたのか。
なぜ寿司がここまで入り込んできたのか。
なにしろ「和食」は世界の無形文化遺産にまで登録されるまでになっているのである。
「BENTO:べんとう」は確実に英語化している。
「DONBURI:どんぶり」も根付いてきている。
それは何故だ! ということである。
答えは、
和食とは「米を食べる方法である」
ということなのである。
どうやって、米を食べさせるか
である。
主食としてコメに対応するのが西欧ではパンである。
しかし、パンは厳密に主食ではない。
あえて言えば、パンは肉を食べるときの副食である。
こちらの人の主食は肉である。
パンは添え物である。
コメはそれだけで食事になる。
しかしパンはそれだけでは食事になりえない。
パンだけ食べ続けることはできない。
栄養等も足りない。
つまり主食ではない。
肉は食べ続けることができる。
よって肉が主食になる。
和食とは肉を主食とする人々に、
いかにしてコメをたべさせるかという方法を提供するものである
ということである。
肉から米へ、
ここに和食の意味がある。
なんか、えらく学問臭くなってしまった。
なぜ和食が流行ることになったのか。
短く端折って答えを言えば「料理の鉄人:アイアン・シェフ」である。
鹿賀丈史が司会する料理番組である。
このテレビ番組くらい料理に衝撃を与えたものはない。
オーストラリアでは圧倒的である。
繰り返し繰り返し放送されている。
当初は「和食、フレンチ、中華」であったが、後に「イタリアン」が加わる。
西欧料理というのは厨房と客席が分かれる。
食べて味を楽しむだけがお客の使命になる。
作るところは絶対に見せない。
料理の鉄人は厨房にカメラを入れて、料理の作り方をテレビに映し出す。
つまり
「あなたにも著名なシェフの料理が作れます」
というわけである。

ダメママのダメさ加減をグサリとついた
わけである。
あんたのダメさが子どもをスポイルするのだよ!
マックにつれていくのがあんたの仕事ではあるまい、
こどもにまともなものを食わせろ、となる。
少々、過激な発言だが「料理の鉄人」がオーストラリアのママさんに警鐘を鳴らしたことだけは確かである。
そのころはやりの「クールジャパン」であった。
バーベキューではなく高級料理をテレビに持ち込んだという衝撃である。
現在これに刺激をうけた番組が数多くあり、各テレビ局は必ず週に一度は夜のゴールデンアワーに放送している。
つい最近は「マスターシェフ」の日本遠征版が放送された。
オーストラリア中から駆け上がった素人シェフが日本にいって腕を競うというものであった。
さて「料理の鉄人」のテレビ放送をきっかけに和食の快進撃がはじまるわけである。
そして生魚はなかなか難しいが、海苔は受け入れられるようになった。
「ヤーク!」と言われることもなくなった。
そして25年、スシトレインは25周年を迎えることになったというわけである。
私の行きつけの店はローカルな場所にあるが、そこそこ盛況である。
全体では潰れる心配もなくフランチャイズの支店は60店舗になるという。
全品一皿2ドル50、行きたいが9日は土曜日である。
とするとスゴイ混みようになるだろう。
やはり食事は静かな方がいい。
ちなみにいうと私はイタリアンが嫌いである。
イタリア料理が嫌いというわけではない。
イタリアレストランが嫌いなのである。
イタリアレストランはどういうわけか何処へいっても、ひどくうるさいのである。
床、壁、天井とコンクリートと石材をメインに作られている。
よって音がガンガン反射するのである。
音声もである。
うるさい中での食事は食べた気がしない。
よく耐えられるものだと思ってしまう。
イタリア人はうるさくないと食事をした気分にならないようである。
反対に日本人は静かな食事を好む。
味を楽しむには静かな方がいい。
これは民族の差であろう。
【後日談】
後日スシトレインに行ったとき
「25周年記念はどうだった?」
と、顔見知りに聞いてみた。
「こみました! 午前中から店の前に行列でした」
とのこと。
やはり、相当にお客が集まったようである。
さらに
「忙しくて、自分が自分でなくなったみたいでした」
とのことであった。
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