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● ロンドン世界陸上マラソン 9位でゴールする川内優輝
ひと月前のゴールドコーストマラソンで2時間09分台で3位に入った川内優輝。
GCマラソンに関係する日本人にとっては彼はゴールドコーストマラソンの顔でもある。
大きな大会はこれが最後というレースがロンドン世界陸上。
残念だが8位入賞にはならなかった。
3秒遅れの9位という。
それでも日本人最高位置。
これで少々心の残りを置いて第一線を退くことになる。
世代交代の波が押し寄せてきており2年後の2020年は選手層が様変わりしているだろう。
ボストンマラソン3位の大迫傑がそのトップを走っている。
それを追う若手も育ってきている。
青山学院旋風がランニング界の目標を駅伝からマラソンへと変質させてきている。
駅伝はゲーム、マラソンが本番というこののようだ。
実業団に入らなかった川内は駅伝に出ることはなく、マラソン一本で走ってきた。
練習環境があるわけではないのであちこちの大会を練習場と心得て、ときに海外まで積極的に遠征してきた。
タフな選手である。
そしてその大きな節目がこのロンドン世界陸上であった。
記憶はあいまいだがこのロンドン大会は彼の70回目のフルマラソンではなかっただろうか(71回目とのこと)。
彼のこの有り様は若手に大きな刺激とともにプレッシャーを与えることになるだろう。
走ることをやめるわけではないので、おそらく来年もゴールドコーストにやってくるだろう。
『
8/7(月) 17:26配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170807-00000082-dal-spo
川内優輝 驚異の精神力
ラスト2・195キロは最速 金メダリストを10秒上回る

「陸上・世界選手権」(6日、タワーブリッジ発着)
男子マラソンが行われ、日本勢では終盤に執念の走りを見せた川内優輝(30)=埼玉県庁=が2時間12分19秒で9位に入った。
看板激突、転倒、給水失敗と“川内劇場”を繰り広げながら、それでも最後は出場選手の中で群を抜く70回に及ぶマラソンの経験を生かし猛追。
入賞までは3秒届かず、ゴール後は天を仰ぎ崩れ落ち、車いすで搬送されたが、完全燃焼の走りを見せた。
数字で見ても、驚異的な追い込みだった。
川内のラップは、35キロ~40キロが15分58秒で全体4位の数字。
さらにラスト2・195キロは6分41秒をマークし、金メダリストのキルイ(6分51秒)らを上回り、最速タイムをマークした。
レース後には涙も流した万感の“日の丸ラストラン”。まさに完全燃焼の走りだった。
』
『
日刊スポーツ [2017年8月7日9時53分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/1868356.html
川内有終9位「苦しかった」「悔しかった」涙の理由

●世界選手権の男子マラソン入賞者
<陸上:世界選手権>◇6日◇ロンドン◇男子マラソン
注目のマラソンが実施され、男子は「最強の公務員ランナー」川内優輝(30=埼玉県庁)が魂の走りで日本勢トップの9位に食い込んだ。
日本代表として走る最後として臨み、8位入賞まで3秒差の2時間12分19秒の力走。
男女とも日本勢が入賞を逃すのは95年イエーテボリ大会以来22年ぶりとなった。
川内のフルコースだった。
序盤で看板に激突し、左太ももに傷を負い、その後に段差で転倒。
20キロ過ぎに先頭集団から脱落し、26・5キロ付近では給水に失敗。
ただ、ここからが神髄。
沿道から「17位だぞ」と声が飛んだ。
過去2大会出場した11年と13年の世界選手権は18位だった。
「そんな順位はもう嫌」と闘志が復活した。
歯を食いしばり、必死の形相で前を追う。
ゴール前は顔を左右に振って、猛ダッシュ。
入賞圏の8位と3秒差の9位に食い込んだ。
最後まで走り切ると、額を地面につけて倒れ込んだ。
13秒後にゴールした中本に背中をたたかれ、ねぎらわれた。

力を尽くした。
車いすに乗って、ドーピング検査へ向かった。
30分後、涙を流して現れた。
「苦しかった。悔しさもあるが、ようやくやり切った」。
日本代表として戦う最後の舞台。
年末には自費で試走し、5月には沖縄で5000メートルを1日で10本走り、汗の成分を分析した。
これまで大きく変えてこなかったスペシャルドリンクのレモンの割合を1・5倍にして万全を期した。
「今後も、私はばんばんマラソンを走っていきます。
日本代表は責任が重い。
きつい」。
やり切った表情で胸を張った。
もし、入賞していれば…20年東京五輪の代表3人中2人を決める「グランドチャンピオン(GC)レース」の出場権を得ていた。
今後、GCレースを目指すかと問われると「まだ分からないですね」と言った。
東京五輪は33歳。以前から信条がある。
「私が出ているようでは駄目でしょ?」。
ここで第一線を退くのは、若手への奮起を促す痛烈なメッセージでもある。
』
『
8/8(火) 18:08配信 webスポルティーバ折山淑美
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170808-00010005-sportiva-spo
川内、中本、井上の3人は
「何を考えて世界陸上マラソンを走ったか」
気温18度ながら日差しが強いなか、ロンドンのタワーブリッジを午前10時54分にスタートした世界陸上の男子マラソン。
日本勢3人は入賞以上を目標に掲げていたが、結果は惜しくも届かず。
それでも、今大会を日本代表としての最後のマラソンにすると公言していた川内優輝(埼玉県庁)が、最後の最後まで諦めない走りを見せてくれた。
最初の5kmは大集団で、15分57秒とスローな出だしになった。
その後、前方で集団を引っ張っていたダニエル・メウッチ(イタリア)に加えて、アマヌエル・メセル(エリトリア)とカルム・ホーキンス(イギリス)も前に出てくると、10kmまでは15分36秒とペースが少し上がる。
15kmまでは15分19秒、20kmまでは15分18秒とまずまずの流れになり、26人ほどの大集団ながらペースは徐々に上がっていた。
そんななか、勝負どころがいきなりやってきた。
中間地点の手前から、リオデジャネイロ五輪1万m3位のタミラト・トラ(エチオピア)と、今年のボストンマラソンを制しているジョフリー・キルイ(ケニア)が動きだし、そこに今年の東京マラソン2位のギデオン・キプケテル(ケニア)がつく。
22kmを過ぎると、その3人のトップ争いが始まり、後ろから4人の集団が追いかけるという形ができ上がる。
さらに25kmを過ぎてキプケテルが落ちると、キルイとトラの一騎打ちが早々に始まった。
想定外ともいえる早い段階での展開に、乗り損ねた選手も多かった。
日本勢はというと、序盤は大集団の中で後方に位置する中本健太郎(安川電機)をマークするように走っていた川内は、転倒するアクシデントもあり、中間地点では9秒だった先頭との差が、25km通過では1分04秒にまで開けられて20位という状況になった。
「途中で遅れて自分の実力不足を露呈してしまったけれど、沿道から『17位』と声をかけられたので、17位や18位はもう嫌だと思って(世界選手権は11年17位、13年18位)。
ひとつでも上がろうと思って前に見えていた選手を追いかけて抜いたら、また前が見えてという形でうまく拾っていけました。
遅れてしまった時点で、入賞はきつくても10番は必ずあると思っていました。
これまでの海外のレースで10何番に落ちながらも、6番とか7番になった経験は何回もしていたので。
気温も上がってきていたので、粘れば絶対に前は落ちてくると思っていました」
川内はこの大会へ向けて準備を怠らなかった。
コースの下見も年末年始に自費で行ない、コースの注意点もしっかり頭の中に叩き込んでいた。
また苦手な暑さ対策としても、給水をしてくれる陸連のスタッフに水はしっかり冷やすように頼み、首筋や腕など、かけ水をして体温の上昇を抑えた。
スペシャルドリンクもいつもの量からもう一口余分に摂取するなど、必要だと思うことはすべてやったという。
そんな効果もあって、30kmからのペースを15分55秒、15分58秒と15分台に持ち直すと、35kmで13位、40kmで10位と順位を上げた。
ラスト2.195kmもトラを振り切って、全選手中トップの6分41秒で走り9位でゴールした。
ゴールタイムの2時間12分19秒は、7位との差を12秒にまで詰めるものだった。
「転ぶ前に看板に激突してよろける場面もありましたが、うまく転べたり、冷静だったりと過去の経験が生きていたと思います。
それに終盤で前から落ちてきた選手が、一緒に走ったことがある選手ばかりだったので抜きやすかったし、最後には中本さんまで落ちてきたので……。
もちろん、7位や8位が見えていたので悔しい部分はあります。
メダルが目標と言って、9位というのは最低限の結果も残せなかったと思いますが、
過去2回の世界選手権のひどい結果に比べれば、やっと自分の力を全部出し切れたなと思えた。
その意味でもこの6年間は無駄じゃなかったなと思いました」
20km過ぎで一気に遅れたとはいえ、8位とは3秒差。
途中の転倒さえなかったら、入賞をしっかり果たせていた、まさに川内らしい走りだった。
その川内は、前半で中本をマークして走っていた理由をこう話す。
「中本さんの走りはすごく冷静で、周りのペース変化があっても離れていいところは離れたり、つかなければいけないところはしっかりついたりと的確に判断している。
それを過去2回の世界選手権で感じて、今回は中本さんをマークしていこうと考えました。
でも実力不足で最後までつけなかった。
もし、中本さんにしっかりついて、そこからペースを切り換えられていたら、入賞は確実にできていたと思うので。
そこは私の弱さかなと思います」
川内は「中本さんには絶対的な信頼感を持っている」と笑顔を見せる。
その中本について、指導する山頭直樹監督はこう話す。
「12年ロンドン五輪、13年世界選手権と比べると、年齢的な問題もあって同じ練習はできず、多少間引きする感じだった」
中本本人は、20kmを過ぎてからの急激なペースアップは想像していなかったと苦笑するが、そこを15分02秒でカバーして30kmまでも15分36秒で耐え、何とか12位を維持。
最後は、2時間12分41秒で10位ゴール。
彼もまた、川内と同じく惜しい結果だった。
「20kmからのスパートに対応するのに少し足を使ってしまいましたね。
10位まで上がった時は、前もだいぶ落ちているからいけるかなと思ったけど、自分も足にきていて。
41kmを過ぎて川内くんに抜かれてから足が止まりましたが、そのへんも自分らしさだったかなと思います。
入賞はしたかったので本当に悔しいけれど、自分の力を出し切ることはできたので『精一杯できたかな』と思っています」
一方、世界大会初挑戦の井上大仁(MHPS)は、集団の前方について揺さぶりに対抗する攻めの走りを見せた。
しかしそれは、川内が「僕も過去2回、ああいうレースをして失敗をした」というような走り方だった。
結局20kmからの急激なペースアップに対応できず、30km以降は17分台中盤のラップにまで落ち、2時間16分54秒と厳しい結果に終わってしまった。
「今回は先頭集団と同じペースでいって、自分がどこまで通用するかを確かめるのが目的だったので、あの走りは当然。
前半のペースが上がったり下がったりした時も、他の選手は『まだ勝負どころじゃないよ』という感じで平然と走っていたので、そこに関しては力の差を感じました。
彼らと同じような走りは、まだ20kmまでしかできないのが現状だったので、これからもっと何度も挑戦し、何回も弾かれるとは思うけど、勝負をし続けたいと思います」
と巻き返しへの決意を述べた。
世界で戦うために今後、日本に必要なものは何かという問いに、中本は
「スピードにしても、経験にしても、タフなレースにしても……。
けっこういろんなことが欠けていると思う」
と数多くの課題を挙げた。
世界のマラソンが日々進化していくなかで、日本の選手たちはどんな手法を選択して挑戦していくのか。
それぞれが自分に合った明確な方法論を見つけていくことが、今の日本勢が世界と戦うための第一歩になるだろう。
』
『
8/12(土) 14:31配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000527-san-spo
世界陸上マラソン日本勢惨敗
精神論では勝てない
賞金高額化「ニンジン」作戦が必要だ!

●世界陸上男子マラソンで川内(右)は9位。これで代表引退は惜しい(川口良介撮影)(写真:産経新聞)
【スポーツ異聞】
「3年後の東京五輪では男女ともマラソンのメダルはなしだね?」。
日本時間6日夜、TBS系列で放映されたロンドン世界陸上選手権の生中継を見ながら、そう思ったお茶の間のファンも多かったのではないか。
午後7時前にスタートした男子。
日本勢は早々と先頭集団から消えた。
あれ、もう駄目かな、リオデジャネイロ五輪のような惨敗劇か-と思っていると、終盤に入って、中本健太郎(34、安川電機)が突然画面に現れ、落ちてきた選手を拾いながら、順位を上げていく。
9位まで上がり、おー、あと1人で入賞か、と思っていると、後ろからあの「公務員ランナー」川内優輝(30、埼玉県庁)が、これまた突然、現れ、すごいスピードで中本を抜き去った。
おー、川内が入賞か、と思ったが、レースはここまで。
結局、川内9位、中本10位という結果に相成った。
ちなみに、井上大仁(ひろと=24、MHPS)は24位だった。
入賞まで、あと一歩じゃないか。
もう少し頑張れば、入賞は狙えると喜んでいる場合ではない。
先頭集団に食らいつき、粘って最後に突き放されての9、10位ならばまだしも、後ろからの脱落した選手を抜いて上がっている消極的(議論は分かれるところでしょうが、少なくとも筆者はそう思う)なレースに疑問を抱いたファンも多かったのではなかだろうか。
女子は、清田真央(23、スズキ浜松AC)が16位、安藤友香(ゆか=23、スズキ浜松AC)が17位、重友梨佐(29、天満屋)が27位。単純に順位を比較すると、男子よりも悪かったが、それでも、清田は何度も遅れそうになりながら、35キロ付近まで、先頭集団に食らいついた。
その敢闘精神はたたえられるが、レースマネジメントというか、戦略がなく、プロのレースとはいいがたかった。
TBS系列では瀬古利彦氏(60)が解説していたが、コメントにも首をかしげざるを得なかった。
日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーという仰々しい肩書を持ちながら、「入賞の壁は大きい」とまるで他人事。
今大会を最後に日本代表から引退することを公言している川内について「もっともっとやってほしい。もったいない。やめる必要はない」と語ったが、これは、どの立場で言っているのか。
リップサービスのつもりだろうが、もし、必要ならば、直接、川内と話し、説得すればいいのではないか。
この瀬古氏は、今年6月、駅伝の強豪校、青山学院大との意見交換会でのパネルデスカッションで「駅伝をやってからマラソンというのは間違い。365日走れる選手をつくってほしい」と訴えた、という。
いわば、「走れ」「走れ」の精神論。
背景には、瀬古氏がものすごい練習量を積んだことで大会で優勝してきた、現役時代の成功体験にあるのだろう。
だが、21世紀に入って久しい昨今、イマドキの若いランナーが、「我慢」「忍耐」だけでついてくるとは思えない。
ならば、どうするか。スポンサーを募り、マラソンで勝ったり、メダルを獲得したりした日本人ランナーに高額な賞金を提供するニンジン作戦は有効だろう。
「金でつるのか」と言わないでほしい。
今や、ゴルフ、サッカー、野球とトップ選手は億単位の年俸を稼いでいるのだから。
もう1つの案は、2年前のラグビー日本代表でエディー・ジョーンズ氏が行ったように、代表選手を半年なり、1年なりと言った長期間にわたって拘束し、徹底した合宿を行い、陸連の強化委員会主導で、指導し、強化することだろう。所属する実業団チームや大学チームに任せにせず、である。
東京五輪まで、あと3年しかない。
今のうち、抜本的に手を打たないと、手遅れになる。
』
8/9(水) 15:47配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170809-00000074-dal-spo
川内、代表引退の気持ちは変わらず「東京の夏は厳しい」
マラソン日本代表が帰国
ロンドンで開催中の陸上の世界選手権に出場したマラソンの男女日本代表選手6人らが9日、東京・羽田空港着の航空機で帰国。
男子で日本勢最高の9位となった川内優輝(埼玉県庁)も公式スーツを着て到着出口に姿を現した。
川内は今回の世界選手権を最後に今季限りで日本代表を引退する意向を示していたが、到着後の会見であらためて再度の代表入りや東京五輪への思いを問われると、
「現時点では難しい。今回は涼しかったが、東京の夏は厳しい」
などと、代表引退の気持ちに変化がないことを示した。
ロンドンでの自身のレース内容や結果については、
「自分自身では戦略面などうまくいったが、やはり8位(入賞)と9位とは大きな違いがある。
途中のペース変化についていければ7位か8位にはなれたと思う。
やりきった気持ちとともにモヤモヤしたものも残った」
などと表現した。
世界選手権でほかの日本勢は、
★.男子で中本健太郎(安川電機)が10位、井上大仁(MHPS)は26位。
★.女子は清田真央(スズキ浜松AC)の16位が最高で、安藤友香(スズキ浜松AC)は17位、重友梨佐(天満屋)は27位
だった。
この日の川内は会見場で開口一番、
「まずは現地やテレビの前の応援ありがとうございました。
チームJapanとして23年ぶりの入賞がなかったことは申し訳ない気持ちです」
とも語っていた。
』
『
8/16(水) 6:00配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000048-spnannex-spo
川内、海外レース出て「SNSで発信したい」埼玉で報告会
世界陸上の男子マラソンで9位だった川内
陸上世界選手権の男子マラソンで9位だった川内優輝(30=埼玉県庁)が15日、埼玉県久喜市内で報告会に出席した。
同選手権は川内にとって代表ラストランで、19年世界選手権や20年東京五輪を目指す考えはない。
9月にはオスロ、11月にはニース・カンヌとフルマラソンに出場予定。
これからも積極的に海外レースを走り、その魅力をSNSを通じて発信するプランも浮上。
「代表の時はSNSをやっている場合じゃなかったけど、これから始める可能性はある。
ツイッターとかフェイスブックとか」
と不敵に笑っていた。
』
『
●川内優輝 世界陸上ロンドン大会 報告会
Published on Aug 15, 2017
2017年8月15日
埼玉県久喜市にて行われた、
川内優輝 世界陸上ロンドン大会報告会。
』
『
8/20(日) 11:00配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170820-00000046-dal-spo
魂の代表ラストラン 川内優輝が日の丸に残したもの

●2012年東京マラソン惨敗後に突然丸刈りで会見する川内優輝
「そういえば、“ごりん”で出直しって書いてましたよね?」
ロンドンで行われた陸上世界選手権のマラソンのレース2日前。“日の丸ラストラン”を控えた川内優輝(30)=埼玉県庁=に、五輪出場を逃したロンドンで迎える集大成の心境を聞くと、そう笑いかけられた。
12年2月の東京マラソン。
川内は14位に終わり、ロンドン五輪出場の可能性が断たれた。
レース翌朝、日本人トップで2位に入り、五輪が確実になった藤原新の取材中に、ある情報が飛び込んできた。
「川内が丸刈りになったらしい」-。
正直、“なんで?”と思った。
前年の東京マラソンで日本人トップの3位になり、世界選手権代表入り。
ほぼ無名だった市民ランナーは、一躍時の人となった。
ただ、あくまでフルタイムで働きながら走る市民ランナー。
そこまでしなくても…。
同日に行われた川内の会見は、衝撃だった。
青々とした頭となった公務員ランナーは、自身モットーの「現状打破」がプリントされたポスターをバックに、きっぱりと言った。
「期待に応えられなかったし、誠意を示すためにやった。
さらしものになった方がいい」-。
42・195キロ、そして“日の丸”に懸ける覚悟に戦慄を覚えた。
新聞の見出しは「川内 五輪へ、五厘で出直し」だった。
公務員という立場もあってだろうか。
結果を出せなかった時は、実業団の選手以上に風当たりは強かった。
『アホ公務員、2度と走るな!』-。
そう書かれた手紙が職場に送られてくることもあった。
「他の選手に言ってくれ」。
そうボヤいたこともある。
それでも市民ランナーの代表として、そして日の丸を狙う者、担う者としての責任と矜持を毎回全力の走りで示し続けてきた。
五輪落選から5年の時を経て、代表ラストランを迎えたのは、あのロンドンの地。
入賞にはあと3秒届かなかったが、看板激突に転倒、そして給水失敗と最後まで川内劇場を繰り広げながら、ラスト2・195キロは最速ラップを刻み、ゴール後は倒れ込んだ。
レース後は
「最低でも入賞って言ってきたんで、最低にも届いてない。
許してくれない人もいるかもしれないけど、自分としては日本代表としてやれることはやれました。
こんなに弱い自分ですけど、色んな人に応援してもらって、ここまでこれた」
と、涙。完全燃焼の走りだった。
初めて日本代表になってから7年間。
五輪こそ縁がなかったものの、3度の世界選手権出場に、アジア大会銅メダル。
十分に胸を張って良い成績だ。
「これからもどんどん世界のマラソンを走って行く。
でも、やはり日本代表というのは責任が重い。
自分でもここまでこれた。
もっと実力があって、スピードのある選手なら入賞、メダルもいける。
これからも日本のマラソンをよろしくお願いします」。
今大会、日本勢が会見を開く施設には、選手がサインを書くスペースがあった。
ほとんどの選手が枠内に自らのサインだけを書く中、一人だけ枠を大きくはみ出している選手がいた。
「現状打破 川内優輝」。
日本のマラソンの常識をぶちこわし、実業団ランナーに強烈な刺激と、市民ランナーに大いなる希望を与えた“最強市民ランナー”は、最後まで強烈なインパクトを残し日の丸に別れを告げた。
』
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