
寛平といえば「アースマラソン」だろう。
確か1日遅れかなんかで遠く海外から中継されるインターネットをあきずに観ていた。
途中、ガン治療のためにアメリカに渡ったとき、これでもう完走はダメだろうと思ったが復活してきた。
すごいもんだ! と感激した。
今年も東日本震災でダーメージを受けた地域の復興支援のために走るという。
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8/13(日) 7:00配信 サンケイスポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170813-00000027-sanspo-ent
寛平、840キロ復興ラン号砲!
帰還困難区域を視察「ショックやわ」
タレント、間寛平(68)が12日、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県を縦走する「みちのくマラソン」をスタートさせた。
6年連続開催の今年は、4月に東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除されたばかりの福島・富岡町から出発。
4月に左鎖骨や肋骨9本を骨折してから初のマラソンだが、被災地に笑顔を届けるために帰ってきた寛平は「今年も走ります!!」と声を張り上げた。
道沿いにある無数の店は無残な状態で残されている。
東北地方を襲った東日本大震災から6年。
原発事故による避難指示が解除されたばかりの福島・富岡町に、寛平が笑顔の花を咲かせた。
「皆さんを元気に、勇気づけるために、840キロ頑張ります!!」
寛平は、応援にかけつけた約100人の住民から熱烈な歓迎を受けながら登場。
震災前には1万5000人が暮らしていた富岡町だが、現在戻ってきた住民は、わずか1割。
現実を知った寛平は「もっと帰って来られるようにア~メマ!!」と自身のギャグを飛ばし、被災者にエールを送った。
福島、宮城、岩手の3県を芸人ら約40人や住民と駅伝方式でつなぐ
「RUN FORWARD KANPEIみちのくマラソン」
は2012年、復興支援を目的にスタート。
今年は24日に岩手・宮古市にゴールするまで、過去最長の約840キロを走る。
寛平が走り抜けた富岡町はライフラインが整い、来年4月に学校が開校される予定だが、まだ一部が帰還困難区域になっているなど復興には時間がかかっている。
1995年の阪神淡路大震災を経験した寛平は、走った感想を求められ「歩道は草木が伸び放題やった」と神妙な面持ち。
同町の帰還困難区域も車で視察し、「ショックやわ。同じ日本なのに…」と絶句した。
4月に木から転落し、左鎖骨や肋骨9本を骨折する重傷を負ってから初めてのマラソン。
「骨はくっついていない」と満身創痍(そうい)の体だが、「東北の復興はまだまだ。みんなのちょっとの笑顔がうれしい」と復興を願い、この日は約60キロの道のりを走破した。
これから約2週間、毎日走りながら各地の仮設住宅を訪れ、イベントを行う予定。
日本中が悲しみに包まれたあの日を忘れさせないために、68歳の超人は走り続ける。
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間寛平 東日本大震災の被災地激励マラソンスタート…東北3県をたすきでつなぐ 【NDT JAPAN】
2017/08/12 に公開 視聴回数 1 回
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河北新報 ONLINE NEWS 2017年08月12日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/naigainews/201708/2017081201001368.html
間寛平さん、復興マラソン出走 避難解除の福島・富岡町から
●「みちのくマラソン」で、住民らとハイタッチしながら出発する間寛平さん(右)=12日、福島県富岡町
東日本大震災からの復興を願い、タレントの間寛平さん(68)らが12日、福島、宮城、岩手3県を駅伝方式でつなぐ「みちのくマラソン」を始めた。
第1走者の寛平さんは、東京電力福島第1原発事故の避難指示が4月に一部で解除された福島県富岡町で「(被災地に)勇気と元気をつけるために来ました」と宣言し、出発した。
4月末、兵庫県内で木登り中に落下して折れた肋骨は「まだくっついてない」と明かし周囲を驚かせながらも、笑顔で住民らとハイタッチしていた。
マラソンは2012年に始まり、今年で6回目。お笑いのネタを披露しながら、24日に岩手県宮古市でゴールを迎える。
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サーチナニュース 2017-10-13 05:12
http://news.searchina.net/id/1645756?page=1
身体能力をカバーする精神力の強さ
・・・日本のマラソン選手が凄すぎて背中すら見えない=中国報道
中国は卓球やバスケットボールといった競技では世界的にも強いのだが、マラソンでは目立った成績を収めることができておらず、「強い」とは言えないのが現状だ。
近年の中国では健康志向の高まりを受け、市民ランナーも増えているだけに、自国のマラソン競技の弱さが気になる人がいるようだ。
中国メディアの今日頭条はこのほど、中国には世界に通用するマラソンランナーがいないことを指摘する一方、日本には豊富な人材が数多くいることを強調し、なぜ中国人は日本人に追いつけないのかと疑問を投げかけている。
記事は、9月に行われたベルリンマラソンで設楽悠太選手(ホンダ)が2時間9分3秒の成績で6位に入賞したことを指摘する一方、2時間30分以内で完走した中国人選手は1人もいなかったと指摘。
中国人選手はマラソン界で圧倒的な強さを誇るケニアの選手はおろか、日本人選手の背中すら見えないのが現実であると指摘した。
続けて、中国人がマラソン競技で日本人に敵わない理由は「日本にマラソン文化が深く根付いているため」であるとし、たとえば箱根駅伝は毎年高視聴率を記録していることを指摘したほか、市民ランナーの数も多く、日本各地で大小様々なマラソンの大会が行われていることを指摘した。
さらに、日本は走り方の研究といったトレーニングのイノベーションにも力を入れているとしたほか、日本人の「意志の強さ」もマラソンにおいては非常に重要であるとし、日本人は意志の強さや精神力の強さでアフリカ系選手に比べて劣る身体能力をカバーしていると主張。
日本人は
「才能は有限であっても、努力は無限の可能性をもたらす」
と信じていて、努力を継続できると指摘、これが日本のマラソンが強い理由だと考察している。
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